この世界の片隅に みた
どうもイナリです。
暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。
Netflixで「この世界の片隅に」が配信され視聴し、またテアトル新宿
でもまだやってたので観に行きました。
2回目でようやっと気づいたこともあり、メモ書きがてら感想を書いてきます。
語彙力がないので油断すると最高〜!しか言わなくなりますのでご了承ください
あらすじ
18歳のすずさんに、突然縁談がもちあがる。
良いも悪いも決められないまま話は進み、1944(昭和19)年2月、すずさんは呉へとお嫁にやって来る。呉はそのころ日本海軍の一大拠点で、軍港の街として栄え、世界最大の戦艦と謳われた「大和」も呉を母港としていた。
見知らぬ土地で、海軍勤務の文官・北條周作の妻となったすずさんの日々が始まった。
夫の両親は優しく、義姉の径子は厳しく、その娘の晴美はおっとりしてかわいらしい。隣保班の知多さん、刈谷さん、堂本さんも個性的だ。
配給物資がだんだん減っていく中でも、すずさんは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。
ある時、道に迷い遊郭に迷い込んだすずさんは、遊女のリンと出会う。
またある時は、重巡洋艦「青葉」の水兵となった小学校の同級生・水原哲が現れ、すずさんも夫の周作も複雑な想いを抱える。
1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの数の艦載機による空襲にさらされ、すずさんが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。
そして、昭和20年の夏がやってくる――。
以下感想・ネタバレを含みます
この映画を見たとき浮かんだのは「ああ、この国ほんとうに戦争があったのか」
でした。
「はだしのゲン」や「泣いた地蔵」「ちいちゃんのかげおくり」「一つの花」などで幼少期にその断片に触れていたはずなのに、長崎の修学旅行で歪んだ地層やビックボーイの現物サイズを見たはずなのに、特攻平和会館に行ったにもかかわらずようやっと実感できたのが成人すぎた今とは。
この国に戦争があった。地獄があった。
主人公のすずさんの実家は広島。彼女には国とは別に戦争があった。
断っていいかわからないまま連れてこられた嫁入り先で義姉にいじめられ、
見知らぬ土地で飯を作り、配給や爆弾について学び、迷いながら生きている。
2回目でようやく気づいたシーンは、晴美さんとともに見舞いに行き空襲にあう
シーン。
すずさんは広島に帰りたかったのか、とやっと気づいた。
「さようなら、広島」と書いた絵を失い、大好きな絵を描く右手を失い、晴美さんを失い、妻としての仕事を失い、居場所を失い。
家を貫いた焼夷弾を眺め晴美さんといた防空壕で見た、家を粉々にされた女を思い出す。
「あの人は家を焼かれて、堂々と呉を出て行けたんだろうか」
焼夷弾をそのままにすればイエは焼かれてすずさんは「解放される」。
あの何も知らなかったころにもどれる。
けれどすずさんは焼夷弾を鎮火した。
兄の脳を拾い妹に広島にかえっておいで、と言われたときでもふざけて返していたのに内心「嘘だ、兄が死んでよかったと思っている」と安堵している彼女の表情はどんなものだっただろう。
呉に降り立つサギをここにいたらいけん、と広島にいけと叫ぶすずさんの、サギと自分を重ね合わせているのではないかと思うシーンもあった。
放送が終わり、まだ四肢も残っているのに、と絶叫するすずさんの言葉が自身の肉体を持っていく覚悟で戦争に挑んでいたんだろうか。
我慢していた何もかもが飛びさっていくも、変わらず生活は続き「うちはこれから、笑顔の入れ物なんです」というすずさんの気持ちの変化に思わず泣いた。
余談ですが、焼夷弾で街が焼けているというのに、放送じゃ「呉のみなさん、頑張って下さい」だけとは、燃えてる最中だったら何が頑張れだよ、と思うがそれくらいしか声をかけられないよな、と思ったり。
ラストシーンで容赦なく飛び込む原子爆弾投下、死にゆく人と燃えるシーンなどは油断させてくれないなあと感心しつつも、その後のシーンで光が灯る山の美しさにまた涙があふれたりなどしました。
オチがない感じになってしまいましたが、アスファルトを滑る凪のような、入道雲を思わず見違えてしまいそうな心地になる。
8月にみるにはオススメじゃあないでしょうか?
今年の12月、「この世界の片隅に」の、別バージョン「この世界のさらにいくつもの片隅に」が放映されるそうです。待ち遠しいですね。
今回はここまでにします。冗長ぎみでしたんで次回はさっぱりさせたいですね
イナリ